momotanの破天荒エッセイ | Just another WordPress site https://momohatenkou.com Just another WordPress site Sun, 16 Jan 2022 13:05:50 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.3 宇宙エネルギーそれはプラーナ【短編小説】 https://momohatenkou.com/enerugi/ https://momohatenkou.com/enerugi/#comments Sat, 03 Apr 2021 12:56:34 +0000 https://momohatenkou.com/?p=703 何十年か前から約20万年~30万年に一回の割合で起こるとされている、地球のS極とN極が入れ替わる“知磁気の逆転”であるポールシフトが起こると全世界の科学者によって予想されていた。実際には、残念ながら何か起こるかまでの解明には至っていなかった。


時は、西暦2100年を迎える3日前のことだった。その日の日本時間AM11:13ポールシフトがとうとう起こったのだ。世界各地に激震が走り、マグネチュード9クラスの巨大地震が世界各国で起こり、都市は壊滅状態になり、津波が街を飲み込み、巨大地震とともに、世界中の巨大カルデアと称される火山がいっせいに噴火し、世界は、1000℃を超える煮えたぎる溶岩に一瞬にして包まれようとしていた。日本では、富士山をはじめ、東京都小笠原にある硫黄島の火山、熊本県の阿蘇山が世界が終わったかのような壊滅的な噴火を始めた。世界では、インドネシアのカメルーン山や、イタリアのポポカテペルト山、全世界のすべての巨大カルデアを持つ山が、次々に時間差なく噴火した。噴火が始まり、わずか2~3時間で火砕硫が街々を飲み込み、火山灰で世界が覆い尽くされた。

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避難警報やサイレンが嵐のように鳴り響き、他は何も聞こえないほどのサイレンだけが響きわたっていた。その頃はすでに、電子機器に影響が出始め、携帯もテレビもラジオも全て遮断される事態となった。その時刻私は家の中にいたが、とっさに左手に携帯を持ち、そのまま外に出てみたが、噴火の火山灰で前は見えず、灼熱に耐えられないほどの外気温度を感じながら、人の気配のする方に、地震で出来た地面の亀裂を避け、足元に注意しながらゆっくり歩いて行った先には、人々は逃げ惑い、地下道に逃げる人、川に飛び込む人、海に飛び込む人、走って逃げる人、互いにぶつかりながら先を急ぎ、右往左往しながら熱風を避けながら、走って逃げるしか生き延びる道はなかった。

まさにノストラダムスの大予言のように、空から恐怖の大王が真っ赤になって降りて来てしまった地獄絵図そのまま。人類は滅亡寸前の状況。左手に持っていたスマホなど何の役にもたたないが、仕事に行っている家族との連絡が取りたい一心できつく握りしめながら、火山灰の中を真っ黒になりながら走っていた。目の前で、崩れゆくビルやマンションを横目に、文明の崩壊を目の当たりに絶望感に打ちのめされながらも、どこが安全なのか皆目わからず、走りながら勢いよく転び膝から血が流れた。酷い転び方をして、歩くこともままならない足をひきずりながら、安全な地を求めて走りながら、神様に「助けてください。」と心の中で泣きながら叫んでいた。その頃、全世界の人々が神様に助けを求めはじめていた。

その時、奇跡が起こったのだ。世界の人々の願いどおり、八百万の神々が白い着物のような服を身にまとい、美しい神様が空から次々に舞い降り始めた。神様と人間は次元が違う世界にいたが、ポールシフトによって次元にゆがみが生じ、今まで人間の目では見ることのできなかった神様を見ることができるようになっていた。神様達は、宙に浮いていた。その次の瞬間、さまざまな形の見たこともないような宇宙船が空を覆いつくし、灰色の長方形の形の宇宙船が何色もの光を放ちながら噴火している火山に近づき、ビーム光線のような青白い光を幾重にも噴射しながら、巨大ドーム型バリアのようなものが出来上がり、完全に火山を覆い、神々も火山に一斉に飛んで行き、火山の噴火を止めている様子を逃げる足を止めて、立ちつくしながら茫然としながら見ていた。

神の力によって、全宇宙から地球に宇宙船が集まったのだ。もともと地球にいた宇宙人も地球にいるすべての生命を助け出してくれようとしていた。

その後すぐに、次々と宇宙人が地上に舞い降り、土の中からも海からも、空間からも見たことのない人型ではない、ゲゲゲの鬼太郎に登場する塗り壁のような3メートル以上もあるような白い長方形の形の宇宙人や、60階のビルの高さくらいはあるスケルトン型の壁のような宇宙人や、鳥の頭を持ち、背中に大きな羽根が生えていたり、スライムのようなゼリーのような形を持たない宇宙人。ネットで見たことのある人型のグレイの宇宙人や、見たことのない生物体の宇宙人、巨大スフィンクスも次々と現れ、私達人間を宇宙船にテレポーテーションで一瞬のうちに連れて行って、地上からすべての地球人を救出してくれていたのだ。あまりの熱さに気絶した人も、倒れている人も、火山灰で息ができず、窒息寸前の人や、パニックを起こしている人々も宇宙船に一瞬で運ばれていた。皆人類は、気がつけば宇宙船に乗っていた。

宇宙船の窓から地上を見下ろすと、火山灰で何も見えない。あの瑠璃色の青い地球や便利だった暮らしや大好きな物や私達の文明はもうないのだと絶望を感じながら、左手に握りしめていたスマホから音がした。画面には、家族の名前が表示されていた。急いでスマホを耳に当て、家族の声を聴き、涙が溢れながら心臓の鼓動が速くなって、言葉にならない時間が過ぎていきながら、ようやく我に返り、家族の無事を確かめることができ、安堵と嬉しさで胸は一杯だった。その様子を見ていた他の人々も、スマホを使い、家族に連絡していた。宇宙船では、どれだけの人数が携帯を使ってもダウンすることはなく、使うことができたのだった。皆安堵と歓声を上げ、どんな奇跡が起こっているのか把握し始めていた。


火傷を負って重傷な人も、骨折したり、傷だらけの人々は、宇宙船の一箇所に集められ、宇宙人が治療をしてくれるということを、小さな子供のような人型をしていて、全身は白く、目や鼻や口などはなく、のっぺらぼうの宇宙人がその国々の人の言語で「治療をします。移動してください。」と、私には日本語で話してくれた。転んで膝からたくさんの血が出ていて、案内された部屋に入り、入り口に機械装置のようなところに、額を当てられ、その機械装置の奥の部屋に気が付けば移動していた。ただその部屋に入っていただけで、膝から出ていた血も傷も一瞬で無くなり、痛みもない。傷は恐ろしい速度で回復していた。火傷した人も、一瞬できれいに治っていて、傷跡1つない肌になっていた。骨折した人も同様に、一瞬で回復し、気絶していた人も起き上がっていた。

不思議に思い、どうなっているのかと考えていたら、頭の中に大きな光が一瞬光って、頭の中から声が聞こえてきた。その声は、機械的な感じだが、透きとおっていて、低音の聞き取りやすい不思議な声だった。
『あなたの顔の眉間の間にある第六チャクラを開いた。今いる部屋はプラーナが高濃度で充満している宇宙エネルギーの中にいる。第六チャクラを通して、プラーナが体の中に入って、膝を治療した。ここにいれば、喉の渇きも空腹感もないだろう。』

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もっと詳しく知りたいと思った瞬間また声が聞こえた。
『あなた方の松果体は、食品添加物や農薬、フッ素、電磁波、アルコールによって衰退している状態だった。第六チャクラが閉じている状態にあるから、先ほど、あなたの額に当てた装置で、松果体を活性化し、第六チャクラを開いた状態にした。するとすべての病気が治癒されやすくなり、開いた第六チャクラからプラーナを入れると体の治癒能力は高くなる。第六チャクラが開いたから、頭の中で声が聞こえるようになったのだ。目に見えない領域の世界と現実世界をつなげることも可能になるのだ。』

プラーナとは何?と思ったらまた声がした。
『プラーナは、あなた方の地球でも、針葉樹林の森や綺麗な水が流れているところにたくさん溢れていて、プラーナを体に摂り入れていたのだ。森林浴をして気持ち良いと感じることがあっただろう。その時プラーナが呼吸によって体に入っていたはずだ。プラーナは、空間に存在するだけではない。あなた方が食べている食べ物の中にもプラーナは含まれている。発酵食品、木の実、生野菜、豆、蜂蜜や、などで、酵素が多く細胞が生きている生の食べ物が、自然により近く吸収率や栄養効果の高い野菜ほどプラーナが存在している。プラーナを食べていれば、体は健康になる。プラーナは宇宙エネルギーだ。そして、体の治癒能力を高めることができる。ここでは、地球のプラーナの計り知れない量が存在している。地球単位にないほどの高濃度の中にあなた方はいる。周りの人をみてごらん。自分を外側から見てごらん。若返っている姿だろう。本来あなた方の体は、食べ物や飲み物を一切口にせず、宇宙のエネルギーであるプラーナと太陽エネルギーだけで生きていける体にもともとデザインされているのだ。』

病気も治すことができるのか?と疑問を持った時。
『あなた方の体は、病気にならない体に設計がされていたが、本来のデザインされている機能はみるみる衰退し、大気汚染や食品や汚染された水など。さまざまに悪影響を体に及ぼし、病気が作られていったのだ。歯もそうだろう。虫歯にならない永久歯のはずだが、虫歯になっているだろう。歯の病気もさまざまだろう。歯と同様に体も病気になるようになっていったのだ。体の中に石灰も大量に蓄積されているようだ。自然と共存しながら生きていけるように作られたのが人間の体なのだ。本来持っている体に備わった機能を十分に生かしながら暮らせば、病気は存在しない。』

環境汚染という言葉が頭に浮かんだ後、
『あなた方は、地球環境に逆らった素材をたくさん生み出した。その1つは、プラスチック素材。そしてフリース素材を作った。フリース素材を着なくては、人体は温かくなかったのだろうか。海もプラスチックで汚し、海に住む者たちも苦しめ、人間もプラスチックを食べていた。プラスチックを食べるとは想定外のことだ。病気にもなる。』

どうしたらいいのだろうと思った。
『あなた方は、今少しずつ知ることが出来てきたが、あなた方の地球には、今までのあなた方には目に見えないフリーエネルギーが充満しているのだ。最近水素をようやく扱えるようになっただろう。化石燃料など使わずとも、あなた方の未知なるフリーエネルギーは、地球にたくさんある。』

これから私たちの地球はどうなっていくのか?と思っていたら、
『頭の中で地球を見てごらん。遠くの物や入れ物に入っている外側から確認することができない物を視る力である千里眼も、壁などをすり抜けて自分が思う所にテレポートができる能力も第六チャクラが開いたことであなたの中にある。光とエネルギーにより形成された、架空世界を旅することもできる。フリーエネルギーも手に取ることもできる。』

頭の中の映像を見ると、神と宇宙艦隊が、巨大カルデラ噴火を沈め終わっていた。神々が手を広げた瞬間、宮崎駿の“もののけ姫”に出てくる、でーたらぼっちのように、山から流れ出た溶岩も火山灰も全て、野原に飲み込まれていった。緑の草に赤や黄色やオレンジの色鮮やかな花に覆いつくされて、森が作られ、林が作られ、海も青さを取り戻し、小鳥が飛んでいる風景が見えた。神様は、何でもできると本で読んだことがあるが、何でも実現可能な万能な神なのだ。神々の様子を見て、神が地球を創造したということも間違いない事実だったことを知る。そして、宇宙人もいつも私たちのいる所に所同じくして、見えなかっただけで、横にいたことを知り、驚きを隠せない。次元が違うということは、目に見えないことなのだ。目に見えるものしか信用できない私達人類からの脱皮の日でもあった。

その後、宇宙人のテレポーテーション機能によって全地球人は、再び地上に下ろされた。このポールシフトで誰一人傷つくことはなかったと宇宙人から聞いた。私自身、膝の怪我も治り、真っ黒だった体も衣服も元通りになっていた。各々の家族の再会が実現され、元気に対面が出来たことを神と宇宙人に深く感謝した。

地上は、一面の野原と色とりどりのお花畑。その中に居ながらも、どのように暮らしが成り立つのかと不安に思っていたら、宇宙船の中での声が聞こえてきた。
『あなた方は知らないが、太古の昔から、人間は宇宙人と共に共存しながら暮らしていたことを伝えておく。エジプトのピラミッドも、スフィンクス型宇宙人が1日で作り上げたもの。ピラミッドの作者として、スフィンクス型宇宙人は自分と同じ等身大のスフィンクスをピラミッド付近に配置したようだ。その後、他の宇宙人も面白がって、ピラミッドの作り比べを楽しんだ後、地球にもピラミッドを残したが、作ったかなりの数のピラミッドを宇宙船に乗せて運んで持ち帰ったこともあった。その後、ピラミッドを作った宇宙人を見ていた人間は、ピラミッドの石にその宇宙人の姿を掘り残した。今でもピラミッドに残っているだろう。

人間の先進的すべての暮らしの中の電気も飛行機も車もネットも便利な生活も全て、宇宙人が人間にヒントを与えて作り上げたもの。これからは、ヒントだけではなく、身近に宇宙人のテクノロジーに触れながら、想像をはるかに超えながら暮らしていけるようになるだろう。
今からの暮らしは、人間だけではない。もう次元変更がされた世界のはじまりなのだから、神々と宇宙人と共存して暮らせばより良く、健康で幸福な暮らしができるだろう。人間のために宇宙船にあったプラーナ装置も地球上に配置されるだろう。このプラーナがあなた方の言葉で言えば、先進医療となる。食生活も全てが今までとは変わっていくようになる。人間の寿命の長さも長くなる。』

宇宙人の話を聞きながら、仰天しながらも、1つずつ納得しながら、これからの未来に胸弾み、想像できないほどの豊かな暮らしに想いを馳せて、その実現に、神と宇宙人と全人類に心から乾杯を捧げた。

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兄貴がいっぱい https://momohatenkou.com/aniki/ https://momohatenkou.com/aniki/#comments Fri, 20 Nov 2020 09:47:53 +0000 https://momohatenkou.com/?p=550 釜山に在住のKさんは、韓国人で日本の大学に留学していたことから、流暢な日本語を話し、スピード感のある通訳をしてくれて、たくさん冗談をいう面白い人柄だ。よく耳にする言葉は、「〇〇してあげました。」「○○してあげましたから。」という。日本語に直すと「○○しました。」と直訳できる言葉でKさんは、「あげました」を1日中何度も投げ放ってくるのだ。いつかその「あげました」を変換してあげようと思いながら、今もそのままになっている。

Kさんのポジションは、韓国支店長で、韓国の商談の通訳やスケジュール管理は、全てKさんが取り決めている。信頼のおける人であるのは確かだが、Kさんが作るスケジュールは、ぎっしり過密に入っている為、いつも帰りの飛行機に乗り遅れそうになって、空港内を走ってばかりだ。通常2時間前くらいに空港に到着するというのが普通だが、いつも私が空港に到着するのは、1時間弱前だ。空港に送ってくれるKさんは、車を降りてからもずっと話続け、永遠に終わらないのではないかと思われるくらい話続け、その後は猛ダッシュが控えている。いつももう少し余裕があればとも思うが、仕事熱心なKさんの熱量の大きさには頭が下がるため、こちらも未だそのままだ。 
そんなKさんは、「兄貴に会いに行きましょう。」とよく言う。何気に聞いていたら、『兄弟多いんだなぁ。』なんて最初は思っていたが、『余りにも兄弟多すぎない?』って思うくらいの人数の話になってきた。よく聞けば、杯を交わした義兄弟のことだったのだ。義兄弟の話を聞いていると、どこに住んでいる誰が、兄なんだか弟なんださっぱりわからないくらいの人数の義兄弟の話に、いったい何人の人と杯を交わしたのかと聞けば、韓国国内の人だけではなく、海外にもいて合わせて6人だという。それではKさん入れたら、7人の義兄弟ということになる。立派な大所帯だ。

ある時遊びで、釜山に家族で行った時の事。Kさんは、「兄貴に会いに行きましょう。」という。もう兄貴がソウルで待っていると、根回ししていたようだった。「飛行機も予約してあげましたから。」ということで、私達家族とKさんファミリーと共に、釜山から国内線でソウルの金浦空港まで飛んだ。所要時間40分ほどで、あっという間に釜山からソウルに到着し、時間の速さによって、近さを感じながら空港に到着した。

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空港では、Kさんの友人のKさんが待っていて、Kさんと同じ苗字で、ダブルKさんだ。ソウルKさんも日本の大学を出ていて、日本人と話しているかのような日本語を話し、身長は180㎝くらいあると思われるスラリと背の高い、てきぱきとした印象のある人だった。話をしているとユーモア―溢れ、会話が弾む楽しさも兼ね備えている人だ。決して「○○してあげましたから。」とは言わない人でもあった。(笑)

釜山のKさんファミリーと娘は、金浦空港前にあるロッテモールへ遊びに行き、ダブルKさんとパートナーのさぶと共に、釜山のKさんの義兄弟の兄貴に会いに行った。その兄貴という人は、韓定食屋で待っているということで、ソウルKさんの車で向かったそこは、セレブな話の韓国ドラマにも出てきそうな格式高い雰囲気で、芝生の庭園もあり、とても素敵な場所だった。そこで待っていたKさんの義兄弟は、年齢は50才代で、人を包み込むような優しさと温かさがあり、目の輝きが印象的な素晴らしい人柄の方だった。紹介から仕事の話に移行して、かなり長い時間話をした。その後釜山Kさんの義兄弟の方とは、仕事のパートナーとして、友好な関係と共に継続している。また、新たな義兄弟や友人との輪も拡大していく運びとなり、喜ばしい限りだ。

釜山Kさんも久しぶりに義兄弟に会ったということで、嬉しいこの上ない、とびきりの笑顔だ。ただ、Kさんは、日頃いびきが激しいそうだが、義兄の家に泊まる場合、ぜったいにいびきはかかないという。「いびきは、自分で直して、兄貴の家でぜったいにいびきはかけないです。礼儀だからあたり前です。」と、義兄を敬っている発言だった。韓国では、上下関係が厳しいということを、聞いていたが、Kさんの発言によって、改めて義兄弟の間柄を深く理解することができた。

義兄弟の方と別れ、金浦空港に戻り、K夫人と子供たちと娘と合流した。Kさんファミリーの娘と、私の娘も歳が近く仲良しで、久しぶりの再会をお互いに楽しみにしていた様子で、合流する前の時間を満喫していたようだ。長い時間家族同士で、楽しいお付き合いをしながら、私自身もK夫人に料理なども教えてもらいながら、韓国のお母さんの味を日本でも作れるようになってきた。女性の義姉妹というのは存在しないが、今では姉妹の様な関係になれたことを嬉しく、人の出会いという縁に感謝は堪えない。

金浦空港の真向いにあるロッテモールやアウトレットなどを散策した後、国内線で釜山に戻り、翌日からまたKさんファミリーと共に旅行の続きが再開した。

義兄弟とは、韓国や中国に多く見られ、固い契りよって、血縁のない男性同士が兄弟と等しい関係になることです。傍から義兄弟を見ていると、やはり血の繋がっていない他人とは思えないような関係性で、礼儀正しく鎖で結ばれたような強い絆を感じました。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございました。

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100円の価値 https://momohatenkou.com/hyakuenn/ https://momohatenkou.com/hyakuenn/#comments Tue, 17 Nov 2020 15:24:14 +0000 https://momohatenkou.com/?p=548 土曜日の朝早く、母から電話がかかってきて、今から買い物に一緒に行きたいという。急いで支度をして、娘と母の家に迎えに行った。母に聞けば今日の予定は、一緒にお昼ご飯を食べて、100円ショップに行って、食料品を買うというコースのようだ。

すべての予定が叶う所といえば、ショッピングモールが浮かぶ。車を走らせ、ショッピングモールに到着して、お昼ご飯を一緒に済ませ、100円ショップで必要なビニール袋などを調達して、今度は食料品の階に行こうと歩いていたら、娘が着物屋さんの前で珍しく立ち止まって、お店の中を覗きながら、私達を呼んでいる。娘の近くに行くと、「着物が100円だって!」と目を輝かせながらいう。母は「古着じゃあない?」と言いながら、店の前に出ているマネキンが着ている着物を触りながら、「これは新品。」と目を見開きながら驚いていた様子だ。店内に入ると100円の多種類の着物が、たくさんラックに色鮮やかにかかっていた。お店の人曰く、「皆さんに着物を親しんでもらうためのキャンペーンで、おひとり様1枚とさせていただいています。」と、福引にあたったかのような気分で、店内を見て廻り、母も娘もお気に入りの1点を見つけ、試着させてもらっていた。試着をしながら、着物に似合う帯をいくつか店内から試着する場所まで、店員さんが持って来て、帯を結んでくれていた。

帯と着物を一緒に購入した場合は、ワンコインの500円という。着物と帯で、合わせて500円+税=550円という計算になる。550円×3=1.650円。「お昼ご飯よりも安い着物って!」と思わず娘にいうと、「ホント!安すぎる!」といえば、母は、「商売やっていけるんだろうか?」と着物屋を心配していた。確かに、仕入れの値段などを考えたら、どのような仕組みになって、そのキャンペーンをしているのかは不明だが、母同様に心配しながら、3人それぞれに気に入ったものを購入した。その後熱も徐々に冷えはじめ、冷静になって考えた時、着物や帯はお値打ちだったが、それに合わせる帯締めだったり、草履やその他も、いくつか小物が必要であるということに、気づいてしまったことは云うまでもないことかもしれない。

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その後食料品を購入し、たくさん歩いたたため、母が少々疲れてしまったようだった。休憩がしたいということで、近くにあったマクドナルドに寄って、アップルパイとコーヒーを頼んで、しばらくゆっくりしながら話していた。ここもオール100円の注文だった。『人は見たい物しか見れない。』と聞いたことがあった。まさに今その100円だけを注視して見ることになってしまっていた。

100円ショップのビニール袋が100円で、着物が100円。その同じ100円の価値の違いに目が点になってしまった。ビニール袋は消耗品で、入っている枚数を使えばなくなって、何も残らないが、100円の着物は洗えるということだから、汚れたら洗えば、何度でも使えるという100円の価値と、もともと着物は100円で購入できるはずがない商品が100円の値段の価値。そして、アップルパイ&コーヒーの値段も考えれば考える程、100円の価値のバリエーションに困惑しながら、“100円って凄い!その気になれば何でも買える”という結論に至った。(笑)

帰り道車の中で母は、嬉しそうに着物を見つめていた。以前は、お茶やお花に携わっていたことから、着物を着る機会も多くあり、日常が華やいでいたようだが、最近は着物を着る機会もなくなっていた中で、久しぶりに人との関わりの中で、着物を試着させてもらえたり、帯を選んだりする心弾む体験を心から喜んでいたようだった。

今年は、神社の参拝もリモートのようですが、お正月はせっかくだから、家の中なら、草履はいらないということで、3人で三種三様の着物を着ておせちを食べ、楽しみながら写真を撮って、母と娘との思い出をたくさん残そうと思いました。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございました

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環境を考える https://momohatenkou.com/kankyou/ https://momohatenkou.com/kankyou/#comments Sat, 14 Nov 2020 11:26:05 +0000 https://momohatenkou.com/?p=544 そろそろイルミネーションで、街が彩られる季節が到来だ。イルミネーションもさまざまだが、環境に優しい地熱発電によって作られた壮大なイルミネーションが見られる場所が、大分県別府市にある。実際ここは、環境に優しい地熱発電ということもあり、安心してイルミネーションを楽しめる場所だ。
この時期、キラキラと光る街路樹に飾られるカラフルなイルミネーションや駅や街や店のイルミネーションも魅了されるが、限りある資源エネルギーの無駄のような気がして、心の底から楽しめないところも正直あった。確かにLEDに多くは切り替えられているようだが、根本的に暮らしに必要な電気については、喜ぶべき光だが、イルミネーションの光となると、罪悪感にも似たような感じのベースの上に、イルミネーションの光景を見てしまう傾向があった。

地熱発電を稼働するには、温泉が多い別府は最適な場所で、発電に使用する蒸気は、温泉から常に噴き出しているため、安定した供給が可能だ。地熱発電とは、化石燃料を使わずに発電できる再生可能エネルギーシステムのため、太陽光発電や風力発電と同じく環境に優しく、枯渇の心配もなく安定して利用できる純国産のエネルギーから作られるイルミネーションは、心躍るままに綺麗を綺麗と素直に見ることができるのだ。

別府市にある、リゾート型温泉施設でもある“杉乃井ホテル”の前には、圧巻されるほどの規模の眩しいくらいの鮮やかなイルミネーションの感動が待ち受ける有名な場所だ。何色にも変化する光のトンネルのイルミネーション中を通ると、全身光に包まれ、光のシャワーを浴びているようだ。光のトンネルから出ると、トナカイや雪だるまがクリスマスの雰囲気をたっぷり醸し出してくれて、賑やかな噴水の公園を通り、北極をイメージさせるシロクマの群れと遭遇するなど、ここまでのイルミネーションはなかなか見られるものではないというくらい、そのスケールは半端なく大きい。誰もが、存分に魅了させられる風景が演出されている。空気が澄んでいるせいか、夜空を見上げると、満天の美しい星が輝く場所でもある。夜空の星と地上のイルミネーションの共演で、幻想的な世界に引き込まれていく素敵な場所だ。
夜空を眺めながら、その昔イルミネーションがなかった時代は、夜空の星を見て、幻想的なその空の星の美しさを楽しんでいたのだろう。

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また、別府の町は、エコが揃っている場所でもある。地熱発電の他に、江戸時代から続く伝統的な“地獄蒸し”と呼ばれる蒸気の100℃の熱を利用して、野菜や肉を蒸すと、甘味が増して美味しく作れる場所がある。誰でも野菜やお肉を持って行けば、体験できる場所だ。他には、樹木とは違う繁殖力が高く、成長スピードの早い竹に注目し、竹細工で手作りで作るざるや籠などが有名だったり、自然に根付き環境に優しい。また、各家庭にも温泉が引かれていて、蛇口から温泉が出てくる。毎日家で温泉に入って、お肌つるつるという夢のような羨ましいシステムだ。ただ、家に温泉を引くと、家の中の湿気や温泉の特有な匂いと、温泉成分の汚れに悩まされてると聞いたこともある。こちらは、一長一短のようだ。

昨年、Z世代の若者たち50万人が、地球と未来を優先に考えてが“新品の服を買わない”という洋服の不買運動があった。服の大量のゴミが、環境への与える影響について考えての行動でもあり、資源を消費していけば、いずれ資源は枯渇していくということは、誰もが予想できることでもある。

私の場合、洋服を捨てないのではなく、もともと洋服を捨てるという習慣はなく、捨てられない。断捨離をすれば、後悔しか残らないことも自分自身の過去の傾向からわかってしまっている。部屋を見渡せば無駄な物もないことはないが、無駄な物に囲まれる幸せというのもあり、実際落ち着くし、今の居住空間を気に入っているというのが本音だ。電化製品もほとんど壊れない。冷蔵庫や洗濯機やオーブンレンジに至るまで、約17年経った今でも活躍してくれていることから、買い替えることはない。確かに新しい家電製品は、日々日進月歩していることもあって、新機能が搭載されて魅力的で省エネで心惹かれるが、まだ機能を果たすその製品を買い替えるという選択は今までなかった。台所用品も全て同じ。鍋やザルやボールも約10年は使用しているものも数多くある。結局同じようなものは買わないし、使える物も新しく買い替えて使うということもしない。使っているうちに愛着も出てきて、使い勝手も良くなってしまう。

宇宙から見たら地球は青くて美しい。そんな美しい地球で暮らしているのだから、地球の環境にも優しい行動は、大切なことだという思いはあった。結局、環境を考えてあげてそうしているわけではなく、使える物は使い、不要になってもなかなか捨てない。自然にそうなっているだけで、誇らしいことは何ひとつないことは云うまでもないことだ。(笑)

電気の消し忘れを防いだり、食材も住環境においても、河川に優しい洗剤を使用したり、ほんの少し環境に優しくなれるように、日頃から心掛けたいものです。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございます。

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極める力 https://momohatenkou.com/kiwameru/ https://momohatenkou.com/kiwameru/#comments Tue, 10 Nov 2020 21:57:03 +0000 https://momohatenkou.com/?p=542 昔から1日2時間しか寝ないという友人がいる。3時間寝ると体はだるくなって、寝過ぎだという。彼の1日の稼働時間は、22時間あるのだ。1日22時間稼働することができたら、もっと今以上にたくさんのことができるだろう。人間の体の構造は同じはずだが、そういう体質の人も実際にいるのだから驚きだ。

友人の風貌といえば、長い髪を後ろで無造作に束ねているのが、トレードマークと浅黒い肌が特徴的だ。友人は、パソコンが好き過ぎて、昔からよく分解して、自分で組み立てた経験を重ね、その後、パソコンを1から作ってしまう腕前になったという。そのパソコンを作ってもらったのは、15年以上前のことだ。その当時のパソコンは情報処理能力も遅く、データー量も小さく重いものが多かったが、そのパソコンは、今のパソコン以上の速度で、データー量は限りなく無限と思われるほどだ。普通に使用しているのなら、全体の1%くらいしかパソコンの中では使用していない、スーパーコンピューターの計算能力を応用しているような感覚らしい。超高速でストレスは感じたことがない優秀なパソコンだ。今では、会社のデスクトップもノート型も全て彼が作ってくれたものを使用させてもらっている。スタッフも、「会社のパソコンが普通になってしまって、家のパソコンを使うと歴然とした差があるので、自分用のパソコンを作ってほしい。」という声も多く聞き、実際に作ってもらって皆喜んで使用している。友人曰く、「このパソコンは、頭の構造と脳みそがぜんぜん違う。」と話す。

深い技術的知識から、パソコンの腕前は、テレビ番組にもでてくるハッカーのあの手さばきをよく目にする。防衛省のホワイトハッカーコンテストに出られるほどではないだろうか。以前「何でもできる?」と聞いたことがある。「できないことはないけど、間違ったことは絶対にしない。」という。大学からの友人で、信頼のできる人物であるのは間違いないが、立派な持論の持ち主だ。

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しばらくして、ある日パソコンが壊れてしまった。休みの日に直しに家まで来てくれた日のことだ。昼前に、大きなクーラーボックスを片手にやって来た。クーラーボックスの中身は、友人が昨日釣ったというメバルやイカなどがたくさん入っていた。今からさばいて刺身にするという。「今、釣り人。世界をまたにかける男になった。」と言って笑いながら、自分が載っている新聞や雑誌を見せてくれた。白いキャップを被り、何よりも洋服がいつもと様子が違って、あか抜けていた。全部スポンサーがくれると、大喜びしながら、風呂敷を思いっきり広げ話をしていた。釣り師修行を秘かにしていて、いつか驚かそうと、今か今かと待っていたと話す。実は、無口な印象があるが、話はじめたら、話は止まらない。よく喋り、よく笑う。

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魚をさばく前に包丁を研ぎ、手慣れた手つきで、魚をさばきながらもよく喋る。喋れば手が止まる。せっかくクーラーボックスに入れて冷たくしてきた魚が残念なことに、刺身として出される頃には、すっかり生ぬるくなってしまっていた。確かに生ぬるさはあったが、新鮮で甘味があって美味しい刺身だった。包丁裁きも職人のように決まっていた。こちらもきっちり修行をしたそうだ。何でもとことん極める力の意欲の強い人だ。

友人は昔から、シャネルの“ANTAEUS”が好きで、いつも愛用していた。もともとレザー調の香りだが、新しく買った香りは、以前よりもレザーの香りが強くなっていて、深みがなくなったという。確かに天然香料の割合によって、その年々の気候によっても香料の出来は異なることから、多少の香りのアクセントの違いも出てきてしまうこともややあるだろう。どんな香りもトップもミドルもラストも、全て時間の経過と共に変わる香りを捉え、模倣することは、調香の初期に習う事だったが、もともと模倣は、時間のかかる作業でもあることから、1ヶ月以上は時間を要したが、1度創ることが出来れば、そのあとは簡単だ。創った香りを嗅ぎ、「これ!これ!この深み。」と、いつも喜んで使ってくれる。嬉しい限りだ。

昼食の刺身の後は、壊れたパソコンを全て分解しはじめ、話しながら手が止まりながら、時計の針は何周もしていた。8時間以上の時が経過していた頃、ようようやくパソコンの修理は完了した。いつも通りサクサク動くようになって、有難い。何時間もかかっても変わらず、すこぶる元気な様子だ。実際2時間しか寝なくていい体なのだから、彼の時間はまだまだ長い。


昔から、”好きこそものの上手なり”という言葉があります。好きだからこそ、極めることができるのだと思います。ただ、極めるには、相当な努力と忍耐も必要ですが、そこで最後までやり切ることができれば、その道を追求し極めることができていくのだと思います。極めた力と言うのは、本当に素晴らしく魅了されるものです。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございます。

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我が家の愛犬 https://momohatenkou.com/aiken/ https://momohatenkou.com/aiken/#comments Sat, 07 Nov 2020 14:31:06 +0000 https://momohatenkou.com/?p=535 娘が2歳くらいの時、我が家に可愛い真っ白なスピッツのMちゃんがやって来た。友人の家で3匹の子犬が産まれたと聞き見に行った。子犬は3匹ともめちゃめちゃ可愛い。友人は「飼ってみない?どの子でもいいよ。」という。今までペットを飼ったことはなかったが、その子犬の可愛さに脱帽し、娘の喜ぶ顔も浮かび思い切って、飼ってみることにした。

Mちゃんは、三姉妹の末っ子。1番上のお姉さんは、わんぱくで元気いっぱいで、2番目のお姉さんは赤い鼻が特徴的で、Mちゃんは、ガタガタ震えながら物陰に隠れる内気そうな子だった。友人曰く、「お母さん犬と生まれてから60日一緒に暮らさなきゃあダメなんだよ。お母さん犬に愛情をたくさんもらうから愛情深い優しい子になれるんだよ。」ということを教えられた。

60日後にまた子犬たちに会いに行き、3匹とも少し大きくなって前よりももっと愛らしくなっていた。Mちゃんを家に連れて帰る道々ずっと、小さい体をガタガタ震わせ怯えている。家での餌もなかなか食べてくれず、どうしたものかと思って見守っていたが、2日目あたりから少しずつ食欲も出てきて一安心。その後、しばらくして決められた予防接種をしたが、アレルギー反応を引き起こし、小さなMちゃんの顔は2倍に膨れ上がり、泣き叫ぶ事態が発生してしまった。驚いてすぐに動物病院に連れて行き、しばらく入院をして治療をしてもらい、無事家に帰って来られてほっとした。もう我が子と同じくらいの心配だ。そのあたりくらいから、Mちゃんは懐き始め、家のどこに行くにも付いてくる可愛い家族の一員になっていった。そして、小さな娘と小さな犬が、戯れあいながら一緒に成長していった姿は、今も記憶に残っている。

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Mちゃんは、餌も残すことが多く、おやつも好きな物だけしか食べないという徹底ぶりは生涯変わらなかった。散歩で他の犬がおやつをもらっていて、その飼い主がMちゃんにもわけてくれていたが、ぜったいに食べない。ペットホテルに預けた時も、やっぱり餌は食べない。ペットホテルのスタッフは心配してよく電話がかかってきたこともあるくらいだ。散歩中、他の犬が寄って来ても、知らんぷりをし、公園で中型犬に吠えられ、飼い主の目を盗みMちゃんを襲いに来た。Mちゃんは強かった。決してひるまず戦いに挑み、中型犬は逃げて行く。生涯一度も人を噛んだこともなく、家の中でのいたずらも全くないため、外出中も家の中で自由に歩き回って暮らしていた。ソファーにお菓子のクッキー箱があって甘い香りを放とうとも、決して食べずその箱を枕に寝ていたり、娘の留守中は娘のベッドで気持ちよさそうに寝てみたり、家の階段でMちゃんとすれ違うこともあった。普通は飼い主についてくるのだと思うが、不思議だ。ほかのゴミ箱は興味はなかったようだが、私のドレッサーの横に置いてあるゴミ箱だけをあさり、化粧品の匂いがついたティッシュで遊び、口からは化粧品のいい匂いを放っていた。Mちゃんの小さい頃、家で香りの調香をしていたため、家じゅう香りが流れていたせいで、香りが好きになったのだろうかと思わせるほど、香りの好きな犬だった。洗い立てのいい匂いのタオルには横たわるが、汚れてくると自分でまるめて”変えて!”をアピールし、散歩から帰って足を洗う時も、いい匂いのボディーソープの時は大喜びをし、犬用のシャンプーは嫌がり、鼻でため息をフンと吐く。トリミングも大好きで、トリマーさんを困らせることはなく、じっとして体を洗ってもらい、いい匂いを体から放ち、耳の横にはリボンを2個つけてもらってご機嫌で、気持ちよさげで満面の笑みといったところだ。

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Mちゃんは、娘のお姉さんだった。私が娘を叱っていると、私の足元に立って、両手で”やめて!叱らないで!”と必死に訴え、娘をかばったりしていた。娘がいたずらをして、Mちゃんの餌を取っても怒ることはなく、逆に娘の顏を舐める優しい犬だった。Mちゃんの子供も欲しくて、男の子のスピッツに会わせてみたが、なかなか子供はできなかった。

Mちゃんが13歳くらいの時、がんであるということがわかった。手術するかどうかという選択だったが、その前に1度他の手術をしていたため、痛い思いはこれ以上可哀想だと思い、手術はしないことに決めた。それから4年何事もなく17歳まで元気に過ごしていた。人間で言えば、90歳くらいの年にあたる。亡くなる1ヶ月前から体調が悪くなり、動物病院にも通い、薬などを飲みながら、経過を見ていたが、酸素が不足していて酸素室に入院という選択になったが、余命を宣告されていたことから、家で1ヶ月抱いて過ごした。酸素のシステム小屋も注文していたが、なかなか到着せず、酸素のスプレー缶なども使い、夜中にMちゃんを抱いて外に出て外の新鮮な空気を吸いながら、散歩して息苦しい酸素不足を紛らわせていた。食欲も衰えてきて、ほとんどの物は受け付けないが、大好きなコストコのディーナーロールだけは食べていた。食べられるものがあって良かったと心底思った。

このディーナーロールは、何よりも大好物だ。コストコの買い物から帰り、いつも通り買ってきたパンやマフィンなどの食材を玄関に置いて、そのまま他のことをしていたら、Mちゃんがパンをくわえて歩いているのを見て、娘に「パンもうあげたの?」と聞けば、「まだあげてないよ。」と、顏を見合わせながら、2人で玄関の食材を見に行くと、袋をやぶってパンを抜き取った様子が伺えた。普段いたずらをしないMちゃんが、最初で最後の可愛い、いたずらをするくらいの大好きなパンだった。そのいたずらの光景さえも微笑ましく、和ませてもらっていた。

亡くなる3日くらい前から、Mちゃんは大きな目を開いて寝ていたのだ。決して目をつむることなく寝ていた。本能で死期がわかっていたのだろう。目を開いていたらこのままでいられると思ったのだろう。亡くなる1日前、ネフローゼも酷くなり、病院に連れて行って酸素室に入り、翌朝亡くなっていた。病院から連れて帰り、丸1日Mちゃんを撫でながら、一緒に家で過ごし、葬儀場に行き、葬儀場の方が、「しっかりした骨ですよ。」と言っていた。17歳でも高い所から飛び降りたりもしていて、骨折も一度もなかった。毎日カルシウム入りのミルクくんというおやつを好んで食べていたせいかはわからないが、毎日のように長い棒状のミルクくんを両手で持ちながら嬉しそうに食べていた。散歩して歩けば、「まだ子犬?」と聞かれる若さのある美しい犬だった。

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それから1週間くらいは、泣いて泣いて過ごした。まだ、手に残るMちゃんの毛の感触や匂い。そして、思い出すMちゃんとの記憶。喜びも楽しさも癒しも、全て与えてくれた17年間の日々を思い出して悲しみに暮れた。悲しみから立ち直れたのは、”飼い主が亡くなった時に、愛犬が1番に迎える”と友人から聞いた時だ。またいつかMちゃんに会える日が来るという。その時まで思い出を大切に胸に刻みながら過ごそうと思った。

Mちゃんは先に旅立ってしまったけれど、Mちゃんを迎えてから我が家はいつも穏やかで優しく、笑いの絶えない家になっていた。Mちゃんをお世話していたようで、しっかりと守られ癒され、支えられていたのだなと実感する。Mちゃんとの出会いがなければ、今の私達家族の関係性ではないのかもしれない。Mちゃんと出会い、過ごした時間による気づきは、この先もきっと私達家族にとって、かけがえのない大切な記憶だと感じた。

ここまで、読んでいただいきましてありがとうございます。

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虎と龍の戯れあい https://momohatenkou.com/%e8%99%8e%e3%81%a8%e9%be%8d%e3%81%ae%e6%88%af%e3%82%8c%e3%81%82%e3%81%84/ https://momohatenkou.com/%e8%99%8e%e3%81%a8%e9%be%8d%e3%81%ae%e6%88%af%e3%82%8c%e3%81%82%e3%81%84/#comments Wed, 04 Nov 2020 15:04:45 +0000 https://momohatenkou.com/?p=532 代理店のG社長は、歯に衣を着せることなく、エネルギッシュで、仕事的にも高圧的に商談を進め、堅気の人が持ちあわせる感覚ではなく、人格の個性が強烈に表に現れるタイプの人だ。G社長の口癖は、「1度吐いた唾は飲み込みませんよ。」「夜道には気をつけてくださいよ。」という言葉をよく聞かされていた。他にもあるが、ここではこのくらいに。20才後半に何もないところから起業し、多角経営をしながら、今では自身のレーシングチームを持つまでに会社を成長させてきた人だ。

最初は、G社長から私の会社の製品を取り扱いたいという意向から、営業が出向いたところ、「課長に用はない。社長を連れてこい。」と言われ、5分で追い返されてしまった。そして私はG社長の会社に伺った。製品説明を終え、商談に入れば『高圧的どこ?』というくらい、全て契約は順調に進み、全てYESマンで、聞いていた状況と異なっていた。課長の言ってた人物像とは雰囲気も天と地くらい違っていたが、何か腑に落ちない感覚は正直あり、注意が必要だとも感じていた。その後G社長は私の会社に来て、今後の担当者を指名した。その担当は、私のパートナーのさぶだった。G社長とさぶは同じ年。いつからか、どちらも頭の上あたりに、G社長は虎をさぶは龍を出しながら、いつもどこでも戦わせている関係に発展していった。

ある日G社長は、会社に私とさぶを呼び商談後、食事という運びになった。メンバーは、G社長とG社長のお気に入りの部下で、顏良し、声良し、頭良しの非の打ちどころのない三拍子揃ったAさんと私達の4名だ。食事は和食屋だった。そこで接客係りが、私達の隣の席の後片づけをしていた時、食器が合わさる音が気になったその瞬間「やかましい!」とG社長は、店中響き渡るほどの大怒鳴りをした。その直後、辺りはしーんと静まり返った。G社長はそこで、さぶに「気になりましたよね。代わりに言ってあげました。」という。割合こんな調子で、へんな汗も秘かに出てきてしまう。食事の後は、「遊びに行きましょう。」ということで、G社長が貸切にした夜の店に遊びに行くことになった。

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そこで、最初はダーツをし、G社長もさぶも負けず嫌いで、どちらも1歩も引かない白熱ぶりは半端ない。G社長がダーツを投げ、さぶが投げ、どちらが的に近いかで競い合い、ほぼ互角の戦いとも思えるダーツの真剣勝負が始まった。投げ合いながら、「その投げ方では、僕には勝てませんよ。」とG社長が言えば、「メガネ曇ってるんじゃあないですか?ほぼ的ですよ。」とさぶが言い。その様子は、まるでガキ大将の遊びの戯れあいのようだ。次に私の番が回ってきた。的からは外れたがGさんは、「フォームがいいですよ。次はうまくいきますよ。センスありますよ。」と満面の笑みを見せ、さぶを挑発し、次にAさんが、投げれば「ナイス!」と。さぶに話すのとは大違いの言葉の数々。明らかにわざとだが、どちらも口が達者で面白すぎて、実際大笑いさせられる。その後カラオケに移行するが、どちらもプロ級で、甲乙つけがたい。そこでも秘かに戯れあいながら戦っている2人がいた。その後カウンターで、Gさんとさぶは、虎と龍を頭の上から出しながら、真剣に話をしていたため、何を話しているのかと近くで聴いてみると、「川中島の合戦は5回行われ、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄・・・。」という歴史の話をしているではないか。その歴史の話は永遠2時間以上続いた。ここでも、歴史の年代やどっちが歴史に詳しいかを競い合っている。どちらも歴史の先生になれるのではないかと思えるほどの知識量と記憶力だ。結局G社長は、さまざまな言動行動から察するに、きっと寂しがり屋なのだろう。遊び相手にもなり得る人物が必要で、担当者をさぶにしたことがよく理解できた。

いつものことだが、G社長は仕事上ありえない横暴さが時々顏を覗かせ、その追度悩ませられる。さぶは何とかその横暴さを抑えながら、頭の上の龍で戦かわせながら仕事をしてきたが、ある日携帯にかかってきたG社長からの電話は、さぶの許容範囲をとうとう超えてしまった。「会社の不利益以外何者でもない。本日限りで取引停止させてもらう。」と決断したようだ。とうとう堪忍袋の尾が切れてしまった。その時、丁度ソウルで展示会をしていたが、G社長は「今からソウルに向かいます。謝りに行きます。」と言って、本当にソウルまで来たことがある。その行動力の速さにも、謝るという素直さにも驚かされた。

1度会社の会議で、G社長の会社との取引をスタッフが反対したことがある。その時さぶは、「限度を超えた無理を言うのも確かなことだが、会社の商品を我々以上に1番大事にし、愛してくれるのはG社長だ。取引は続けるべきだ。」と言ったことがある。

私から見て、長い付き合いの中でさぶとG社長は、虎と龍を出して戦ってはいるが、認め合っているところも多く、今では友情までも芽生えているようだ。G社長は、場面場面で策士でもあるが、誰よりもまっすぐに製品を見て、何日でも徹夜して検証し、納得の末に世に送り出してくれる。熱い気持ちと誰よりもエネルギッシュであるG社長には、どのようなことがあろうと感謝の気持ちしか持っていないのも事実だ。

人の数だけ個性の数もバリエーションもさまざまあります。仕事といっても本質的には人と関わり合いながら、その個性と向き合いながら進めていくところも多々あります。今も仕事も遊びもG社長との関わりは、現在進行形で進んでいます。珍しい関係性ですが、感謝しながら有難く大切にしていきたいと思います。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございました。

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幸せの瞬間 https://momohatenkou.com/siawase/ https://momohatenkou.com/siawase/#comments Sun, 01 Nov 2020 14:42:39 +0000 https://momohatenkou.com/?p=530 中学の入学式当時の朝、娘の成長の喜びを胸に、新たな人生の一歩を迎える娘と、一緒に入学式に参加できることは、幸せの瞬間だった。自然に笑顔になれる清々しい朝を迎えることが出来たことに深く感謝した。

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車で娘と学校に向かい、学校の指定の駐車場に着くと、そこに駐車されていた車は、ロールスロイス、フェラーリ―、ポルシェ、ジャガーなど、名車と呼ばれるクラッシックカ―をはじめ最新の車まで、まるで輸入車ショーさながらのメンバー構成だ。ベンツやBMWも数々駐車されていたが、普通の感覚の車に見えてしまうという驚きの光景が広がっていた。

学校に到着すると、そこはセレブパーティーが繰り広げられていた。両親揃って出席されている人も多く、父親はブランドスーツに身を包み、胸ポケットには華やかな色のポケットチーフを差し、手にはビデオを持ち、娘や息子と語らいの時間を過ごしていた。母親は、黒色の基調の着物に白やピンクの桜が艶やかに吹雪いている、1度見たら2度と忘れないであろうと思われる創作着物や多彩なドレスを纏って、嬉しさいっぱいの参列だ。中学の父兄席も駐車場の光景がそのまま広がっていた。本来、そういう学校ではないのだが、たまたま娘の学年だけが意外性のある家庭が多く集まったようだ。確かに意外性は高かったが、父母だけではなく、祖父母も多く参加しており、一同子供達と参列できる入学式を心から喜んでいる様子は、子供を想う気持ちは誰もが同じだった。娘の入学式の最中、普段はあまり撮影しない私も撮影に熱が入り、最後は校庭で娘と何枚も記念撮影をして、晴れの日の記念をたくさん残した。

娘は、中学生活にも慣れて、友人同士のお泊り会も盛んになっていった。娘が友人の家泊りに行った日のこと。友人の父親に連れられ、友人とケーキを買い行った時、友人の父親は、ケーキのショウウィンドーを覗き込み、端から端までのケーキを全て大人買いをし、夕食は有名店での焼肉で、翌日は球場に野球観戦に行き、娘の席の隣には、野球の監督夫人の席というお泊り会だったようだ。その話を聞き、友人の両親は、娘と一緒に楽しめるように事前に計画を立てて、体験をさせてくれたのだ。自身の娘の友達までも、もてなす心に感謝した。

そんな一連の意外性の高い経験をしている娘に、“経験は力なり”という言葉を伝えた。人生でさまざまな経験の中で、意外な出来事も自身の力にしていくことこそが、学びであるし、自己の成長にも繋がると考えたからだ。小学校の頃は、コップ半分の水を入れ、実際にコップの水を目の前にし、この水の量をどのように捉えるかというとレクチャーをしたことがあった。コップの半分の水を少ないと捉えるか、多くあると捉えるかで、物の見方や価値観も大きく異なってくるはずだ。コップの水を少ないと捉えれば、人生の中での見方も、不平が生まれやすく、足りないを背負い、足りない上に思考を重ねてしまうだろう。逆に、コップの水を多いと捉えることが出来たならば、人生の捉え方も満足の土台の上で、物事を見ることができるだろう。そうなれば、どんな時も満足や喜びや感謝の土台で、物事を見ていくことができるだろう。自身の思う力と豊かな心を大切にして欲しいと願った。

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最近、中学の同級生の結婚式に出席することになり、結婚式に向かう途中で中学の担任の先生と合流した時のことだ。その結婚式は、通常のタキシードなどの服装ではなく、指定された服装のテーマがあったため、そのテーマにふさわしいかどうか担任の先生は、着ている服とは別に2着ほど用意をしてきて、先生は「どれがいいかな?迷って、一応他にも持ってきた。」という。娘は「何着てるとかじゃないから。服じゃあないよ。祝福する気持ちを持ち寄ることが大切だと思うけど?」と言ったそうだ。
先生は、「お前、いい事言うなあ。その通りだよな。服じゃない!気持ち!気持ち!」と、着ていた服で参加したという話を聞いた時、その先生との信頼関係性や先生に対しても、素直に思うことが言え、娘の祝福の価値観が嬉しかった。

子育ては、環境に左右されることも多々あるかと思います。その環境にもやや適合しながら、環境だけに決して左右されることなく、子育てできたらいいなぁと思いました。そして、幸せの瞬間は、まだまだ続いて行くかと思います。そんな幸せの瞬間を共に、大切な時間として過ごしていきたいと思います。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございました。

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スーパープレイヤーは人気者 https://momohatenkou.com/super/ https://momohatenkou.com/super/#comments Tue, 27 Oct 2020 21:11:02 +0000 https://momohatenkou.com/?p=528 起業前に、1年だけ就職した営業の会社があった。その会社は本社と支社があり、業務内容も異なっていたことから、支社の方の選択をした。なぜこの会社に就職したかというと、今後起業に役立つ可能性のある知識も必要だったが、起業にあたり自己資金が必要だったことの方が大きい。この頃起業を視野に入れ、友人の税理士とも相談していたところ、はじめての起業の場合、融資を受ける際、実績もなく信頼性も低いことから自己資金は融資額の10分の1は最低必要で、やる気=自己資金ということだった。多角的に見た場合も、自己資金は多いに越したことはないという理由だ。

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就職した支店は、業務は対面営業で、その給与は、2通りから選べるシステムだ。基本給と歩合給が選ぶことが出来、基本給の場合は、販売が成立してもしなくても決まった給与が貰える。歩合給の場合は、販売成立した場合のみ給与の対象になるという、感覚的には個人事業主のような感じだ。1年で貯蓄する目標が高かったため歩合給を選ぶことにした。

本社には、スーパープレイヤーと呼ばれる、よく売れる営業マンTさんがいた。年間2億、いやもっと多いはずの売り上げを会社に貢献していた人物だ。野球でいえば、打席に立つたびにホームランを華やかに打つ、安定性と確実性の高い打者だ。

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会社に入社し、本社で営業研修が行われ、実際Tさんの営業を見学したことがあった。実際に営業現場を見て、正直驚いた記憶がある。

その営業は、まるで狩りをしているような野生の王国のライオンではないだろうかと思わせる雰囲気がTさんから醸し出されていた。Tさんは、端正でソフトな顔立ちで、語り口調は始終物腰柔らかで、涼しげでもあり、優しい言葉使いで、森の奥に隠れている獲物を静かに狙いを棲ませて、様子を伺いはじめる。そして、状況と共に変化を遂げながら、ライオンから蛇に変身し、お客さんは、蛇に睨まれたカエルになっていくようだった。今度は、すべての説明にYESを取り付け、YESがもらえないと、じっと相手の目を見て、停止する。そしてYESをもらい次々に誘導していく、そしてだんだん逃げ道は、ごく自然に塞がれていくのだ。気がつけば皆、四面楚歌状態になっている。あたりはもう真っ暗で何も見えない心細さが訪れたと思ったら、Tさんは煌々と照らされた灯りを用意して、ただ1ヶ所だけ明るい場所に立ち、そこが唯一の出口となるわけだ。皆安堵してTさんに感謝を自然にしてしまう。そこでTさんは一斉に明るい誘導口に皆を誘導し、販売成立という構図の営業方法だ。

1人のお客さんを相手に営業していたのではなく、100人に対して同時の営業をしていたのだ。不思議なことに、お客さんは、喜んで納得して自ら進んで商品を購入し、後々までもキャンセルということは一切ない。お客さん達は、皆Tさんのファンになって「Tちゃん!Tちゃん!」とピンクの声が飛びかっていた。流石だ!スーパープレイヤーは人気者だった。

この1年後、丁度私の起業と同じ頃に、Tさんも起業した。Tさんは、不動産業を始めた。今まですべてのお客さんはTさんのファンであることから、全てTさんの新会社での顧客になっていった。恐るべしTさんだ!

Tさんの部下の営業マンは、スーパープレイヤー に憧れ、営業方法を教えてもらうが、なかなか育成できないと聞いていた。実際、Tさんが部下に教えているところを見る機会があった時、部下が育たない理由が理解できた。

将棋で言えば、1手を打ちながら、常に5手先の状況を自分の頭の中で描き、その状況を変化をさせないように20手先までを読み、結果43手先には販売できるという感覚的な営業を教えていた。教えられる方は、ロールプレーの中で、1手2手進む中で「いや違う!それでは次の段階で・・・」結局5手先はどうなる。15手先を読まなくては、販売に結びつかないと、自分の頭の中の論理を話していた。独自のマニュアルはあったようだが、このような繰り返しの中で、教えられる側は、もう次の1手が出せなくなくなってしまう。次に何をどのように進めていったらいいのか迷走し、手も足も出なくなり、遂にはわからなくなってしまうようだった。

スーパープレイヤーの営業を教育の仕方を実際に見て、感性の感覚によって緻密に構成されている営業方法のようだ。それを習得するには、時間はかかりそうな様子だった。

営業方法も、人の数だけあって当たり前で、Tさんのように感覚的に営業をする人もいれば、マニュアル通りに忠実に営業する人もいて、中には、相手の話を聞くだけの無口な営業をする人もいました。営業をする人の数だけ営業方法は、多種多様にあると思います。また、営業は人との関わりの強い職種です。たくさんの人との関わりの中で、学ばさせていただいたことを感謝しています。

ここまで、読んでいただきまして、ありがとうございました。

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寄り添う優しさ https://momohatenkou.com/yasasisa/ https://momohatenkou.com/yasasisa/#comments Fri, 23 Oct 2020 13:28:24 +0000 https://momohatenkou.com/?p=525 中学2年生になれば、高校受験を視野に入れ、勉強に本格的に取り組む時期がやってきた。そんな時、家庭教師の先生に教えてもらうことになった。通常は家に来て教えてもらうものだが、先生の家に毎週1回通って教えてもらうことになった。

はじめて母親に連れられて家庭教師の先生に会った時、芸能人みたいに綺麗なお姉さんでびっくりして、その時から私の憧れのお姉さんになっていた。先生は学校の先生の娘で、大学3年生だった。週に1回通って、勉強でわからないことがないくらい、丁寧にわかりやすく教えてくれた。憧れの先生に教えてもらっていることから、勉強にも熱は入り、真剣に取り組んで成績も伸びた。勉強が終わると、私には甘いミルクたっぷりコーヒーを出してくれて、先生はブラックコーヒーを大人の雰囲気を漂わせながら飲んでいた。ある日、憧れのお姉さんのようにブラックコーヒーを飲んでみたくなって、ブラックコーヒーを家で作って飲んでみた。苦い!苦すぎて頭が痛くなってきた。気分は大人だったが、味覚は子供のままだった。

学校は制服があって不自由はなかったが、私服は少なかったため、母に「服が欲しい。」と言ってみたが、「すぐに大きくなって着られなくなるから。」と。確かに中学1年までは、クラスで1番背が小さくて、体育の授業で“前にならえ”で、前はいなかったが、中学3年生では、後ろから3番目になっていたほど、身長はよく伸びていた。成長に合わせて洋服を買ってもらうことも多少はあったが、毎回ほとんど同じような服を着て通っていた。先生もいつも同じ服なことから、服が欲しいなどとは取り立てて思うこともなく、勉強に励んでいた。

学校帰りのある日、駅で先生とばったり会ったその時は、ディオールのモノグラムのバッグを手に、シフォンのスカートと、高いヒールを履いていた。

部屋着と通学時の服装は、違って当然だが、1年半近く私に合わせて、いつも同じトレーナーやTシャツを着ていたのは、優しさ以外の何ものでもなかったことを、駅で偶然会った最初の瞬間に、先生の見られたくなかったという表情から悟ることができた。本当は、いつも素敵な洋服を着こなしているお姉さんだったことを知り、優しい気持ちに気づいた瞬間でもあった。駅で別れて、家に帰る道を歩きながら、先生の優しさが嬉しくて、自然に涙が出てきた記憶がある。相手に寄りそう優しさを学んだ瞬間でもあった。

それからも、以前と変わらず勉強を教えてもらっていた。前のようにブラックコーヒーを飲むことを真似するのではなく、内面を磨いて優しい大人の女性になりたいと思った。勉強が終わった後、いつもの甘いミルクコーヒーを飲みながら、日常の出来事を中心にたくさん話をした。学校で必要な勉強ではなく、今現在にも活かされる相手への配慮や思いやり、自分自身を愛すること、同じように人を愛することなど、「いい女」になれる心の在り方を学べた大切な時間でもあった。

その後目標の高校に進学し、大学生になった頃、私の手にはディオールのモノグラムバッグと高いヒールを履いて、手にはブラックコーヒーを持っていたことは、言うまでもないことかもしれない。(笑)
ただ、このバッグのために勉強することよりも、アルバイトに励んでしまったことも伝えておきたい。

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人は人との関わりの中で学び成長していくものだと、日々痛感しています。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございました。

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