我が家の愛犬

娘が2歳くらいの時、我が家に可愛い真っ白なスピッツのMちゃんがやって来た。友人の家で3匹の子犬が産まれたと聞き見に行った。子犬は3匹ともめちゃめちゃ可愛い。友人は「飼ってみない?どの子でもいいよ。」という。今までペットを飼ったことはなかったが、その子犬の可愛さに脱帽し、娘の喜ぶ顔も浮かび思い切って、飼ってみることにした。

Mちゃんは、三姉妹の末っ子。1番上のお姉さんは、わんぱくで元気いっぱいで、2番目のお姉さんは赤い鼻が特徴的で、Mちゃんは、ガタガタ震えながら物陰に隠れる内気そうな子だった。友人曰く、「お母さん犬と生まれてから60日一緒に暮らさなきゃあダメなんだよ。お母さん犬に愛情をたくさんもらうから愛情深い優しい子になれるんだよ。」ということを教えられた。

60日後にまた子犬たちに会いに行き、3匹とも少し大きくなって前よりももっと愛らしくなっていた。Mちゃんを家に連れて帰る道々ずっと、小さい体をガタガタ震わせ怯えている。家での餌もなかなか食べてくれず、どうしたものかと思って見守っていたが、2日目あたりから少しずつ食欲も出てきて一安心。その後、しばらくして決められた予防接種をしたが、アレルギー反応を引き起こし、小さなMちゃんの顔は2倍に膨れ上がり、泣き叫ぶ事態が発生してしまった。驚いてすぐに動物病院に連れて行き、しばらく入院をして治療をしてもらい、無事家に帰って来られてほっとした。もう我が子と同じくらいの心配だ。そのあたりくらいから、Mちゃんは懐き始め、家のどこに行くにも付いてくる可愛い家族の一員になっていった。そして、小さな娘と小さな犬が、戯れあいながら一緒に成長していった姿は、今も記憶に残っている。

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Mちゃんは、餌も残すことが多く、おやつも好きな物だけしか食べないという徹底ぶりは生涯変わらなかった。散歩で他の犬がおやつをもらっていて、その飼い主がMちゃんにもわけてくれていたが、ぜったいに食べない。ペットホテルに預けた時も、やっぱり餌は食べない。ペットホテルのスタッフは心配してよく電話がかかってきたこともあるくらいだ。散歩中、他の犬が寄って来ても、知らんぷりをし、公園で中型犬に吠えられ、飼い主の目を盗みMちゃんを襲いに来た。Mちゃんは強かった。決してひるまず戦いに挑み、中型犬は逃げて行く。生涯一度も人を噛んだこともなく、家の中でのいたずらも全くないため、外出中も家の中で自由に歩き回って暮らしていた。ソファーにお菓子のクッキー箱があって甘い香りを放とうとも、決して食べずその箱を枕に寝ていたり、娘の留守中は娘のベッドで気持ちよさそうに寝てみたり、家の階段でMちゃんとすれ違うこともあった。普通は飼い主についてくるのだと思うが、不思議だ。ほかのゴミ箱は興味はなかったようだが、私のドレッサーの横に置いてあるゴミ箱だけをあさり、化粧品の匂いがついたティッシュで遊び、口からは化粧品のいい匂いを放っていた。Mちゃんの小さい頃、家で香りの調香をしていたため、家じゅう香りが流れていたせいで、香りが好きになったのだろうかと思わせるほど、香りの好きな犬だった。洗い立てのいい匂いのタオルには横たわるが、汚れてくると自分でまるめて”変えて!”をアピールし、散歩から帰って足を洗う時も、いい匂いのボディーソープの時は大喜びをし、犬用のシャンプーは嫌がり、鼻でため息をフンと吐く。トリミングも大好きで、トリマーさんを困らせることはなく、じっとして体を洗ってもらい、いい匂いを体から放ち、耳の横にはリボンを2個つけてもらってご機嫌で、気持ちよさげで満面の笑みといったところだ。

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Mちゃんは、娘のお姉さんだった。私が娘を叱っていると、私の足元に立って、両手で”やめて!叱らないで!”と必死に訴え、娘をかばったりしていた。娘がいたずらをして、Mちゃんの餌を取っても怒ることはなく、逆に娘の顏を舐める優しい犬だった。Mちゃんの子供も欲しくて、男の子のスピッツに会わせてみたが、なかなか子供はできなかった。

Mちゃんが13歳くらいの時、がんであるということがわかった。手術するかどうかという選択だったが、その前に1度他の手術をしていたため、痛い思いはこれ以上可哀想だと思い、手術はしないことに決めた。それから4年何事もなく17歳まで元気に過ごしていた。人間で言えば、90歳くらいの年にあたる。亡くなる1ヶ月前から体調が悪くなり、動物病院にも通い、薬などを飲みながら、経過を見ていたが、酸素が不足していて酸素室に入院という選択になったが、余命を宣告されていたことから、家で1ヶ月抱いて過ごした。酸素のシステム小屋も注文していたが、なかなか到着せず、酸素のスプレー缶なども使い、夜中にMちゃんを抱いて外に出て外の新鮮な空気を吸いながら、散歩して息苦しい酸素不足を紛らわせていた。食欲も衰えてきて、ほとんどの物は受け付けないが、大好きなコストコのディーナーロールだけは食べていた。食べられるものがあって良かったと心底思った。

このディーナーロールは、何よりも大好物だ。コストコの買い物から帰り、いつも通り買ってきたパンやマフィンなどの食材を玄関に置いて、そのまま他のことをしていたら、Mちゃんがパンをくわえて歩いているのを見て、娘に「パンもうあげたの?」と聞けば、「まだあげてないよ。」と、顏を見合わせながら、2人で玄関の食材を見に行くと、袋をやぶってパンを抜き取った様子が伺えた。普段いたずらをしないMちゃんが、最初で最後の可愛い、いたずらをするくらいの大好きなパンだった。そのいたずらの光景さえも微笑ましく、和ませてもらっていた。

亡くなる3日くらい前から、Mちゃんは大きな目を開いて寝ていたのだ。決して目をつむることなく寝ていた。本能で死期がわかっていたのだろう。目を開いていたらこのままでいられると思ったのだろう。亡くなる1日前、ネフローゼも酷くなり、病院に連れて行って酸素室に入り、翌朝亡くなっていた。病院から連れて帰り、丸1日Mちゃんを撫でながら、一緒に家で過ごし、葬儀場に行き、葬儀場の方が、「しっかりした骨ですよ。」と言っていた。17歳でも高い所から飛び降りたりもしていて、骨折も一度もなかった。毎日カルシウム入りのミルクくんというおやつを好んで食べていたせいかはわからないが、毎日のように長い棒状のミルクくんを両手で持ちながら嬉しそうに食べていた。散歩して歩けば、「まだ子犬?」と聞かれる若さのある美しい犬だった。

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それから1週間くらいは、泣いて泣いて過ごした。まだ、手に残るMちゃんの毛の感触や匂い。そして、思い出すMちゃんとの記憶。喜びも楽しさも癒しも、全て与えてくれた17年間の日々を思い出して悲しみに暮れた。悲しみから立ち直れたのは、”飼い主が亡くなった時に、愛犬が1番に迎える”と友人から聞いた時だ。またいつかMちゃんに会える日が来るという。その時まで思い出を大切に胸に刻みながら過ごそうと思った。

Mちゃんは先に旅立ってしまったけれど、Mちゃんを迎えてから我が家はいつも穏やかで優しく、笑いの絶えない家になっていた。Mちゃんをお世話していたようで、しっかりと守られ癒され、支えられていたのだなと実感する。Mちゃんとの出会いがなければ、今の私達家族の関係性ではないのかもしれない。Mちゃんと出会い、過ごした時間による気づきは、この先もきっと私達家族にとって、かけがえのない大切な記憶だと感じた。

ここまで、読んでいただいきましてありがとうございます。

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