仕事柄海外にもよく行っていたせいか、海外旅行は今でも大好きでコロナ感染拡大の前は、はじけて過ごしていた。仕事で行ったのは韓国が圧倒的に多かった。
初めての韓国旅行のソウルはツアーだった。友人10人ほどでお決まりのコース観光と呼ばれるもので、東大門や南大門でショッピングを楽しみ、明洞でコスメをたくさん見て、ロッテホテルに宿泊し、カジノで遊んで、帰りは添乗員さんが紹介する免税店で、キムチの試食をしたり、化粧品を勧められ、訳がわからずサボテンのチョコレートや高麗人参の飴を買ったりしていたが、それほど韓国にひかれたわけではなかった。何しろ辛いもの、キムチのにおいがあまり好きではなかったのもその原因のひとつだともいえる。
ただ、驚いたのは、東大門でも南大門でも、韓国人によく間違えられたことだ。日本人であるということがわかると、日本人?「うそだ!」と他の韓国人を呼びに行って、皆で「嘘だ!」という。日本人であると言うと。『嘘だよね~』の冷たい眼差しを向けるのだ。確かに、飛行機の搭乗の時も、客室乗務員さんは、私の前に歩いていた友人には、「こんにちは」と声をかけ、私には「アンニョンハセヨ」だった。その上、機内でも韓国語で食事を配るではないか!飛行機から降りる時も、韓国人向けの挨拶だ。道を歩けば、韓国語で親しく話しかけられ、腕を捕まえられ道を尋ねられ、エステの勧誘にもあい、テレビの撮影しているその近くを通れば、すかさずインタビューされる。それなら韓国人の顔立ちなのだろう。一緒にいた添乗員さんも、昔日本で流行った“冬のソナタ”のちょっと意地悪な“チェリン”に本当によく似ていると添乗員さんも言われた。韓国人だよね。ちょっと意地悪な“チェリン”って誰?冬ソナにそれほど興味のなかった私は、一応その“チェリン”を検索してみたことは言うまでもないことだ。
その先の近い未来に、韓国で仕事をしていくことになるとは、この時夢にも思わなかった。よく考えると、今までも旅行先でよく縁というものが出来て、思いもよらない展開は多々あったことから、そういう事?どういう事?と頭の中ではわからないのだが、モヤモヤしながらそういう事もあるんだろうと感覚で理解することにした。実際にその後、韓国で仕事をすることになっていったのだ。
それから時は過ぎ、釜山の展示会で商談があると予想されていたことから、釜山でKさんという日本の大学に在籍していたこともあったという日本語の堪能な通訳の方をお願いした。
釜山の展示会で、Kさんはやはり流暢な日本語で非常にわかりやすく、通訳速度も早く信頼のできる方だった。通訳を交えると2倍の時間がかかることから、同時通訳的は通訳は非常にありがたかった。Kさんは、いろいろな韓国人の考え方や日本人との違いなどの詳細を教えてくれたり、観光スポットや遊びやグルメなどの情報にも精通していて、いろいろな話のバラエティー豊かな人だった。ただ、よく言っていた口癖は「○○してあげましたから。」だった。1日のうちに何度も何度も聞いた。日本語で、「○○してあげましたから。」という言葉の連発!Kさんは、たぶん「○○しました」=「○○してあげましたから。」を使っている様子だった。「○○してあげましたから」の連発で、「○○してあげましたから」の海に溺れちゃわないか心配になってきた。
展示会の通訳をきっかけにKさんと仲良くなっていった。仕事以外でもKさんとは、家族ぐるみの付き合いだ。Kさんの家では、奥様がプロ級の腕前のご馳走を作ってくれたりもした。『雨が降っている日は、韓国では雨が降るとチヂミを食べる習慣がある』ことや、『お祝いのときはチャプチェやわかめスープが振る舞われる』ことを教えられた。教えるのが得意な奥様で、聞けば職業は学校の先生というのを聞いて納得した。また、私たちの宿泊先のホテルでランチをしたり、時間の共有をしながら交流していた。韓国の人は、家に人を招くのがすごく好きなようだ。家に招き、食事を共にして、アルバムを一緒に見るというのが、一連の流れのようだ。よく韓国ドラマにも出てくるような、写真館で撮ったと思われる大きな写真が、家の居間に大きく飾ってあり、アルバムの写真に関しても、アルバムの中での出来事を話題にするのも好きなようだ。
その後、Kさんより「紹介したい会社があるから、今度一緒に会ってみましょう。」という提案を受けた。丁度その中で、以前私たちの会社でできないかと考えていた事業計画と一致した事業に取り組んでいる会社があったため、その会社と共同開発をしていきながら商品を作ることに決まった。Kさんはそれからも、私たちと行動を共に通訳をしてくれていた。実際てきぱきと仕事をこなし、鬼のようなスケジュールを組み、それにしたがって確実に行動するのだ。
スケジュールは、大体同じような感じが多かったが、とにかくハードだった。
AM8:30 KさんがホテルにPickupに来る
AM9:30 会社到着
PM12 昼食
PM 1 開始
PM 6頃 終了
(長引けばPM9をすぎることも多々あった)
その後、別の会社の方々と商談を交えスケジュールに組み込み食事だ。
(韓国は商談=食事が重要のようだ)
ホテルに帰るのは、PM10に帰れれば早い方で、その日に帰れないことも多々あった。次の日も、またその翌日も多少のスケジュールの変化はあるもののあまり変化はなく、ハードスケジュールだ。
釜山は海がきれいだった。いつも宿泊していたのは、海雲台にある“パラダイスホテル”だ。ホテルの窓からは海岸の青い海が見えて、冬の海も好きだが、夏は赤い大型パラソルがならび、海水客で賑わっていて、楽しそうな風景を見て、いいなぁ~なんて思いながら、夜ホテルに戻りホテルの温度の違いが5種類ほどある小さめのプール(確か39℃・40℃・41℃・42℃・・・)施設でホットひと息。Preciousな時間を堪能することに。ただ、温度の違いが1℃ずつ違うという意図が未だ不明で仕方がない。
ホテル内にあるパラダイスカジノは24時間営業だ。すでにPM1は過ぎていたが、行ってみよう!ということになり、最初はお決まりのルーレットで楽しみながら勝った、負けたと初めてのカジノに興奮気味に大はしゃぎ。さぶとブラックジャックを覚えようということになり、テーブルについてしばらくすると、日本語を流暢に話す中国の方が私の後ろにいた。
続きは、また次回。
ここまで、読んでいただきまして、ありがとうございました。
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