林檎の樹

長野に友人宅に、遊びに行った時のことだ。丁度林檎が木に生っている時期で、もうしばらくしたら、収穫の時期を迎えることから、林檎が木に生っているのを見られるのは、今だけだという。林檎が木に生っている様子は、映像などでは見たことはあったが、実際に見たことはなかった。収穫前に見られる貴重な林檎の木々を、友人と散歩しながら見に行くことになった。10月中旬頃で長野は、空気がひんやりしていて、少々肌寒く感じたが、新鮮な空気をたくさん吸いながら、林檎農園に向かった。林檎農園に近づくにつれ、なんともいえない、林檎のいい香りに包まれた。林檎農園は広大で敷地で、色々な品種の林檎が、ブロックごとに種類別に分けられていた。

王林という緑がかった林檎や赤い林檎が木に生っていて、木のそばに行くと、林檎の甘い香りが強く放たれていた。中でも、秋映という品種の林檎は、独特な濃い赤色をしていて、濃い赤色の林檎が緑の木々に映えて、林檎という花を咲かせている様は見事で、まるで林檎のお花見をしているような雰囲気だ。

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友人が、林檎の木を見ながら、この木の林檎で林檎箱がいくつできるかということを言い始めた。その時に小学生の頃の事が思い起こされた瞬間でもあった。友人は、小学校からの付き合いで、もう酸いも甘いも知り尽くした間柄だ。一緒にスイミングに通って、書道教室、算盤教室にも通い、何をするのもいつも一緒だった。夏休みには、朝ラジオ体操という過酷な恒例行事に行って、その後たいていどちらかの家に居た。

算盤教室に通い始めた頃、見取り算から習い、掛け算、割り算と暗算と習っていく中で、私の困難はどんどん深みにはまって行った。見取り算の時点では、何桁でも永遠に長い数字の羅列でも全て正解するという、算盤教室の中ではちょっとした英雄だった。掛け算や割り算の時点では凡人と化し、さらに暗算ではもう何者でもなくなっていた。暗算ができない!算盤を頭の中に描くまでの準備は整っていたが、描いた算盤の玉は動かない。『算盤で暗算って必要?暗算っている?どこで?いつ?電卓あるよね!』と、こんなことも、あんなことも、そーんなことまで小学生の頭の思考を全開に思いつく口実で、どうにかしてここから脱出する方法の模索をしていたが、現実は厳しい。『そうだ!算盤の玉が動かないなら、指を使えばいい。』簡単なことだ!最初の初歩の初歩は、両指の屈指でどうにかなった。指はよく動く。やればできる子だった。一瞬で、やればできる子はいなくなった。それを見ていた友人は、指をよく貸してくれたが、限界の域までもうあと10㎝もない、崖っぷちだ。諦めることが自分を救うことだと悟って、その後指を動かすこともなくなった。その後、算盤教室は一緒に行くことはなかったが、それ以外はずっと一緒に過ごしていた。

しばらく林檎の木々を見ていたが、そろそろ友人宅に向かうことになった。友人宅の2階のベランダにあるテーブルは、こたつになっていて、椅子に腰かけて温まるシステムだ。何枚も薄いこたつ布団がテーブルに素敵にかけられていて、外が寒くてもこたつは温かく、外が寒ければ寒いほど、その心地よさは増すのだ。テーブルの上には真っ赤なランプとピンク色のキャンドルが3個置いてあり、壁一面にハーブの植木鉢がかけられ、ハーブのいい香りも漂っている。プランターの花々は、目を楽しませ、多少の雨が降っても大丈夫なように大型パラソルも開いている。驚くのは、上を見上げれば、長野という地域柄、葡萄が栽培されていて、葡萄の季節は葡萄の房がぶら下がり、葡萄をその場で採ることもできる。こたつの横には、簡単な籐の家具が置かれていて、なんでも手を伸ばせば取れるという便利な引出があって、そこにもランプが幾つか置いてある。ワインセラーも完備され、隠れ家的な素敵な場所だ。空気が澄んでいて、上を見上げれば、星がきらきらしているシチュエ―ションは完璧だ!友人もお気に入りだが、私も相当お気に入りの場所だ。夜中までそのこたつで、心の底から笑いながら話す時間は、かけがえのない大切な時間だ。

学生時代は毎日連続性があって、今日会えば昨日の続きから関係は進んでいきます。2~3日合わなくてもその前に会った時からの関係性が続きます。大人になっても一緒で、今も現在進行形の友人です。これからも一緒に過ごす時間を大切にしていきたいと思います。

ここまで、読んでいただきましてありがとうございます。

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