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さくらんぼ狩り&西瓜

コロナウィルス感染拡大以前は、毎年海外旅行に出かけていた。仕事においても余暇においてもさまざまに行動に制限が出てきている。
そんな状況下でも海外旅行は、“楽しかった”と脳が体が心が記憶しているために、勝手にネットに手が伸び、今現在いける海外は?と意味なく調べてみた。ギリシャがあった!この状況下で行くのは正直勇気がいるのは確かだ。飛行機はどうだろう。感染のリスクなど考えてみると、おのずと答えは最初から出ていた。今は、世界的にコロナウィルスの感染が治まることをただひたすらに願うばかりだ。

海外旅行も楽しいが、フルーツ狩りも相当美味しい。特にさくらんぼ狩りは毎年の恒例行事だった。木から直接食べるさくらんぼの甘いことといったら、お店で買うパックのさくらんぼとは、果肉の柔らかさ、ジューシーさ、甘味や酸味もまるで違う。果実が完熟するところまで、木とともにいるわけだから、当然といえば当然だけど。大きさもアメリカンチェリーサイズに近い大玉の佐渡錦。酸味も程よくジューシーで甘々。お腹いっぱいに食べられるさくらんぼ狩りは、毎年の楽しみのひとつである。

はじめてさくらんぼ狩りに行った時のことだ。さくらんぼの木の下の地面は、それほど問題はないと考え、ローヒールやパンプスしか持っていないので、その中からカジュアルなフェラガモのローヒールのサンダルをチョイスした。

さくらんぼ狩りを予約し、現地に向かった。現地に着いたら、予約したのは私たちだけで、農家さんが運転し軽トラックの荷台に乗って、さくらんぼ狩りができる現地に向かったのだ。ドラマで見る光景だ。流れにまかせ軽トラックの荷台に乗れるという、稀な経験ができたことは新鮮だった。軽トラの荷台に乗るのも想定外だったが、現地の地面は藁のようなものがひきつめられていた。足を一歩踏み入れれば、地面の状況にはもっと驚きが待っていた。サンダルのかかとがすっぽり藁にはまり、地面に埋まって歩けないではないか。藁の下の地面は、水分が多い土なのだ。サンダルが埋まる様子を見ていた娘は、「あー。ママ!フェラガモ履いてさくらんぼ狩りはないわー。」と大笑いをしていた。確かこの状況下では。自分でもやってしまっている感はあったのは事実だ。品種は違えどもさくらんぼって桜の木で、桜の木の下がぬかるんでいるというのは誰が予測できただろう。想定外だったのだ。結局、さくらんぼの美味しさに惹かれつつ、農園の地面のためにも入り口からあまり動かずして、さくらんぼの木に手を伸ばしながらさくらんぼを捥ぎって食べていた。農家さん曰く、さくらんぼの実だけを捥ぎって食べてほしいということだった。たぶん来年に収穫に影響するのだろう。入り口付近にもたくさんさくらんぼがあったが、さくらんぼの木によって、甘さが違うということがわかり、さくらんぼ調達係のさぶが、奥の方までさくらんぼを取りに行って、たくさんさくらんぼを両掌に持ってきてくれた。やっぱり、きによって甘さや酸っぱさが違うということが実感できた。甘い。美味しい。嬉しい時間を過ごしながら、写真も撮り、さくらんぼも狩るという楽しい時間を過ごすことができた。
しばらくして、農園の方が迎えに来て、また軽トラの荷台に乗ってさくらんぼ農場をあとにした。軽トラの荷台に乗った時、娘の靴もさぶの靴も泥のつき具合は半端なかった。ドロドロだ。私のフェラガモも当然泥まみれだ。車に戻りウェットティッシュで拭きながら、かかとを見ると、農場の入り口付近移動だったにもかかわらず、ヒールは所々めくれあがっていたのを見て、やってしまった感は十二分だった。その後、農園の方にさくらんぼのお土産をたくさん頂いた。農家さんありがとう。

帰りに山梨名物ほうとうをはじめて食べてた。ほうとうにも種類があって、私はかぼちゃほうとうにした。鍋焼きうどんのうどんの太めで、薄味で素材の味が生かされたほうとう鍋だった。

それからのさくらんぼ狩りは、かかとのないローヒールで行くことにした。当然のことだろう。ローヒールで行った先の農園は、前回とは違う農園だ。まったく地面の構造が違っていた。藁もなければ、ぬかるみもないではないか。あれ?普通の地面だった。農場によって地面の構造は違うのだということを“ひとつ学んだ”ということにして、目的はさくらんぼなのだから。

実は、そんなさくらんぼよりも好きな果物があるのだ。さくらんぼも相当好きだが、3度の飯より西瓜が好きというくらい西瓜が大好きなのだ!その好き具合は、他を押しのけて圧倒的1位の座にいる。

実は、さぶは果物を食べる習慣がなかったらしい。「果物って毎日食べるの?」「葡萄といちごだけ少し食べればいい。」なんて最初は言っていたが、習慣というものは、人の嗜好までも徐々に変えていくことがわかった。さくらんぼ狩りに行けば、少しだけ食べる果物ではなくなっていた。すいかの季節になれば「すいかが1番だ」というようになった。私が西瓜を切っていると、さぶはすかさず西瓜を切っている様子を見に来て、「そこがいい。」と指差すではないか。すべて真ん中近くの甘いところじゃあないか!あたり前だ!誰だって一番甘いところが食べたいに決まっている。そこは分け合う部位でしょ。梨がスーパーに並べば、「梨が一番おいしい」と言ってみたり、柿が出てくると「いくらでも食べられる」というように、徐々に変化して、今ではフルーツ大好き人間になった。

さぶは、今年の夏も私のためだと言いながら、休みの日にはよく西瓜を買って来てくれた。美味しいすいかを選ぶための術をネットによって身に着け、甘い西瓜を選んできていた。甘いすいかは色がはっきりしていて、たたいた時の音などと独自のデーターがあるらしい。中でも“祭りばやし“というブランドの西瓜は、糖度20度くらいはありそうな甘さで、シャキシャキ感とつぶつぶ感があって、ここのところ毎年食べていて、甘いって幸せ。冷たいって幸せと、お盆前まで西瓜生活を満喫していた。お盆の時期を過ぎた頃には、店頭に西瓜を見かけないことから、大の西瓜好きのさぶは、お盆前に6Lという巨大な大きさの西瓜を2個も”満面の笑み“で買ってきたことを伝えておきたい。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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