初めての登山。娘は“さくらさくらんぼ保育園”で育ったのだ。“豊かな感性・あふれる意欲・仲間を思いやる気持ち”をモットーにしているようだ。小さい頃から、山のぼりもよくしていたし、丘の上からダンボ―ルをお尻下に敷いて、勢いよく滑る。その他、川遊びや泥遊び、畑に種まきや収穫、リズム体操、一年中ゴム草履とアクティブな生活をしていた娘は、足腰は強い。小さい頃のそういった鍛えは、大人になってからでも生かされるということを娘を見ていつも感心するばかりだ。つまり、足腰が強いから、娘に関してはなんの心配もいらないのだ。心配の種は私だ。案外大丈夫だろうという根拠は全くない溢れる自信で、鷹をくくりながら登山に出発した。
自宅から車で3時間くらいかかる場所の山だ。山の入り口は、川が流れていて、水が澄んでいて、冷たい。そして、空気もひんやり澄んでいて、うぐいすの鳴き声が情景に情緒を添えていた。この澄んだきれいな空気を吸わなければもったいないような気がして、深く、深く、必要以上に空気を吸って、手には軍手をして、その辺の落ちている木を杖にしながら、山の奥の参道に進んで行った。進んで歩いていくと、ちょうど足の幅くらいの道で気をつけて歩かないと、川におちてしまうような急斜面の岩場に遭遇。そこで気を引き締めながら進み、ほっとしたのもつかの間、今度は老朽化が進んでいる吊り橋だ。人が1人しか通れないほど狭く、歩きを進めていくと、木が腐っている感触が足の裏に伝わってきて、ギシギシと音をたてているではないか。慎重に体重を軽くしながら渡りきり、さらに幅の揃わないコンクリート製の階段がどこまでも続き、目の前のやたらと段差のきつい階段を下から見ていると、ここでもう帰りたくなってきた。
それでも、まだ先は長い。水筒のお茶を飲みながら、気を取り戻しながら進んで行くと、次は、岩を一歩ずつ登っていく山道に差しかかってきて、手を使わなければ上がれないほどの急な斜面だ。娘は、「ママと登山なんて初めてでうれしい」と言いながら、颯爽に足軽にどんどん進んで行く。所々で私達を振り返りながら、待っていてくれて、娘の近くに行くと、また、娘は歩き出した。その繰り返しだ。さぶは、私の歩きに合わせ、休めば休む。進めば進む。お茶を飲みながら休んでいると、「暑いな~。大丈夫か?」と言いながら、扇いでくれる。リックサックの中から、キャンディーなどを差し出してくれる。(さぶのリュックはパンパンに詰まっていて着替えでも入っているのかと思ったが、)中には、私の好きなお菓子や娘がご機嫌になるお菓子ばかり詰まっていたのだった。
目の前に白い看板が上方に見えて来た。ついに頂上に到着か?と思われたが、看板を近くで見ると、山の入り口の案内だ。今までの道は序章?しっかり休憩もしておやつまで食べてしまったではないか。その看板には、右と左の矢印があった。左は初心者用で、右は上級者用のようだ。さて、どちらに行くか。「当然上級者だよね。」っていう選択をなんとなくここまできたのだからというレベルの軽い考えで決めてしまった。その選択が、後々どれほど自分を苦しめることになるのか6時間後あたりから知ることになるのだ。
右の矢印の上級者向けに進んだ。私たちは上りだ。下りの登山者とすれ違う。皆軽やかに歩き、「こんにちは」と笑顔で必ず挨拶を交わすのだ。なんという気持ちのいい瞬間なのだろう。そんな新鮮な気持ちの交流が登山にはあるのだ。
さて、そろそろ昼食の時間になってきた。目の前は岩の道が続いているだけだ。平たんな場所で、ピクニックシートを敷いて昼食が出来ると誰が言ったのか。誰も言ってない。単なる自分の思い込みなだけだった。ピクニックシートが敷ける場所などどこにもないのだ。登っても登っても歩いてもどこにも平たんな作りの場所などないではないか。先を行く娘に「上の方どうなってる?」と聞くと、「ずっと、こんな道だよ。上は見えないよ。」と。やっぱり颯爽に登り、また、下がってきているのだ。どれだけの体力を内包しているのだろう。細身で足だって究極に細いし、モデル体型のどこにそんな底知れない体力があるのだろう。私は、ふらふらになりながら、岩に手をかけ突然休んでしまう。私の後ろのさぶは、その行為はたまったものではないのだ。突然休憩してみたり、歩き出したり、また、予期せぬ遅さ速さと安定しない歩き。この突飛押しもない行動の山登りに合わせて歩くほど大変なことはないのだということを後で知った時は、「あ~。ごめんね。」という言葉しか思い浮かばなかった。さぶは、私のリュックを持ち、私の後ろから押しながら、歩きやすいようにして補助をしてくれていたのだ。その岩の道を4時間ほど、ただひたすらに歩いた。もちろん、さぶや娘のサポートのおかげで、歩けたのだ。汗は、したたり落ち、ついに歩ききったと思った平らな場所に着いた。娘といえば、汗ひとつかいていない。涼しそうな顔をして笑っているではないか。娘とさぶは、下りの登山者に情報を聞いていたのだ。ついに着いたと思ってたその場所は、まだ頂上まで3時間ほどかかるという場所だ。山の途中でまだまだ頂上は遠かった。いったい頂上はどんな風になっているのだろう。どんな所なのかは、頂上を制覇した者にしか知り得ない場所なのだろう。
岩の険しい道から風景は変わっていた。左を見ると巨大の岩の壁。そこに人が何人も登っているではないか。ロッククライミングだ。恐ろしいほどの高さだ。どのくらいの高さか見当がつかないほどの高さを人が登っている。クライマーも私たちの登ってきた同じルートで山を登り、尚且つ、ロッククライミングをしているのだ。しかも相当朝早くから来ていることだろう。凄まじい体力だ。自然の壮大さの中の人間の体の小ささの対比を見ながら、自然の巨大さの岩の壁に目を奪われるばかりだった。
待ちに待った平らな道だったが、昼食は喉を通らないほど疲労していた。皆食事よりも早く帰るという選択をした。時刻はPM3だ。これ以上登れば帰りは日が沈んでしまう。ここで、引き返すことにした。記念撮影を終えて、さあ帰ろう。帰りは、下りの帰り道だ。登りに比べれば楽勝!なんて鷹をくくりながら、弾む気持ちで山を後にしたが、(膝が悲鳴をあげるまでそれから)そんなに時間はかからなかった。膝が痛い。左足の膝が痛い。原因は、同じ足を使って降りていたからだった。「交互に歩かないと、膝を痛めるよ。」とさぶに言われてもなかなか交互に足がでない。さぶは心配して、「次はここの石に右足から降りて、次はここに左足を。」と細かく下りやすく、足に負担がかからないように教えてくれていたのだ。降りられない急なところは、支えながら降ろしてもらいながら、娘に体を支えてもらいながら、手を貸してもらいながら、さぶに娘に交替で助けてもらいながら徐々に降りてきた。娘もさぶも私の面倒で大変だったと思う。心から「ありがとう」と言いたいし、出てくる言葉は「ありがとう」しかなった。まだまだ、先は長かった。実は登りよりも下りの方が倍くらい大変だったのだ。まだここから来た道の川あたりに戻るには、3時間ほどの距離が残っていた。大変なのは、ここからだった。
あと2時間の距離になってきたところで、もう右の足の膝も左の足の膝も動かすだけで痛い。それでも歩かなければと歩くと、今度は足がつってしまう。右足がつればマッサージしてくれた。左足がつれば、またまた吊った痛みを和らげてくれた。それでももう歩けない。どうやっても歩けない。膝は悲鳴をあげていた。激痛だった。さぶがおんぶしてくれると言ったが、そこは急斜面。大人をおんぶして下るのは危険なところだった。それでもおんぶするということで、お言葉に甘えてみたが、一歩も歩けない。そして歩いたと同時に転んだ。その拍子に、私が下に落ちるのを防ぐために、私の全体重を肩で受け止めたのだ。相当痛かったに違いない。しばらく痛みでうずくまって、動けないほど痛そうにしていた。それでも、“痛い”ということを一言も言わなかった。
今思えば、初心者コースを選択すべきだったことは、言うまでもないことだが、(あの看板を見た時間には当然帰れない。そして今もその看板はまだ見えない。)誰ももうあたりにはいない。薄暗くなってきた。「遭難?ヘリ?こんな時はヘリ要請?」というと、「こんな木の多いところにヘリは来れないよ。」と話しながら、少し休憩しながら、娘の大きな支えで少しずつ降りた。娘も大変だったのに、「ママ。大丈夫だから。私につかまって。大丈夫だから。」と言いながら、少しずつでも進めるように、歩けるように、いろんな方法を考えながら、試しながら前に後ろに左に右に動きながら助けてくれた。膝が痛くないように気をつけながら補助をしてくれている心遣いにも、そのありがたさに涙が出てきた。娘までも私を“おぶる”という。その心がその言葉がどれほど嬉しかったかわからないほど嬉しかった。“ありがとう”と千回言っても一万回言っても余りあまるくらいだ。さんざん二人に大迷惑をかけながら、よくやく半ば這うようにもとの川のほとりの空気をさんざん吸っていたあの場所に帰って来られた。娘もさぶも笑顔だ。笑っていた。娘は、「ママ。大変だったね。がんばったね。」と優しい声をかけてくれた。
もうすでにあたりは真っ暗だった。駐車場について、車に乗り家に無事帰宅できた。みんな。ありがとう。心からの感謝をした。“ありがとう”
ちなみに、こんな私が言うのもなんだが、たぶん何の説得力もないし、どうでもいいと思うが、“Columbia”のトレッキングシューズは、急斜面でも全く滑べらない。足の裏や足首や足や足の指まで負担がかからず、クッション性があって歩きやすい。登山の神髄を心得た緻密な設計のもとで創られた“神のシューズ”だったと付け加えたい。
みなさんが聞きたいのは、多分娘のシューズ名かもしれない。リクエストはないが、 “adidas”のトレッキングシューズだ。軽やかに颯爽に疲れを知らない歩きができることだろう。
ここまで、お読みくださって感謝です。
コメント
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